島田菜穂子(しまだ なおこ)さんは、日本のピンクリボン運動の立ち上げに参画し、乳がん啓発に長年尽力してきた乳腺専門医です。2026年10月6日(火)よる11時59分から放送予定の日本テレビ「上田と女がDEEPに吠える夜」に出演予定で、放送テーマは「乳がん」。専門医としてどんな話が聞けるのか、期待が高まりますね。
この記事では、島田菜穂子さんの学歴や経歴、乳腺専門医になるまでの歩み、そして日本のピンクリボン運動を支えてきた活動について、詳しく調べてまとめました。気になる方は、ぜひ最後まで読んでみてくださいね!
島田菜穂子医師が「上田と女がDEEPに吠える夜」に出演!どんな先生?
2026年10月6日(火)よる11時59分から放送予定の「上田と女がDEEPに吠える夜」は、10月のピンクリボン月間にあわせたテーマ「乳がん」。番組公式の告知によると、梅宮アンナさんや室井佑月さん、芸人の小林アナさんが自身の乳がん闘病経験を語る予定で、島田菜穂子さんは乳腺専門医として早期発見・治療の大切さや、治療を受ける方に伝えたいメッセージを語るとされています。MCは上田晋也さん、この回のメンバーとしていとうあさこさん、ゲストにアンタッチャブルの柴田英嗣さんも出演予定です。
島田さんは、日本のピンクリボン運動の立ち上げに参画し、普及に尽力してきた専門医の一人。乳がんの啓発に長年取り組んできた方なんですね。デリケートなテーマだからこそ、経験豊富な専門医の言葉は心強いものです。どんなお話が聞けるのか、放送が楽しみですね!
島田菜穂子のプロフィールと学歴

まずは、島田菜穂子さんの基本的なプロフィールと学歴から見ていきましょう。
生年月日や出身地は?
島田菜穂子さんは、1963年12月18日生まれ、静岡県のご出身です。血液型はO型。趣味はジャズ鑑賞やバレエ鑑賞、特技はマリンスポーツやマラソンと公表されています。医師でありながらスポーツにも親しんでいる、アクティブな方なんですね。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 島田 菜穂子(しまだ なおこ) |
| 生年月日 | 1963年12月18日 |
| 出身地 | 静岡県 |
| 出身校 | 筑波大学医学専門学群 |
| 専門 | 乳腺科・乳腺放射線診断 |
出身校は筑波大学医学専門学群
島田さんは1982年に筑波大学医学専門学群へ入学し、1988年に同大学を卒業しています。その後、同大学附属病院の放射線科でキャリアをスタートさせました。医師としての出発点が放射線科だったというのは、少し意外に感じる方もいるかもしれませんね。
静岡県立沼津東高校からの歩み
高校は、静岡県立沼津東高校。1982年3月に同校を卒業し、同年、筑波大学医学専門学群に入学しています。沼津東高校は静岡県内でも有数の進学校。そこから医学の道へ進んだ努力家なんですね。地道に積み上げてきた歩みが、今の活躍につながっているのだと思います。
このように、島田さんは静岡から筑波へと進み、医師としての土台を築いていきました。
乳腺専門医になるまでの経歴を時系列で

ここからは、島田さんが乳腺専門医として歩んだ道のりを、時系列で見ていきましょう。
放射線科医としてのスタート
島田さんは1988年の卒業後、筑波大学附属病院放射線科のレジデント(研修医)として医師人生をスタート。筑波記念病院やつくばメディカルセンターの放射線科でも研鑽を積みました。実は島田さん、学生実習で颯爽と働く放射線科診断医の姿に憧れて、この道を選んだそう。最初から乳腺一筋だったわけではなかったんですね。
東京逓信病院で乳腺外来を開設
1991年から東京逓信病院の放射線科に勤務し、1992年には放射線科内に乳腺外来を開設しました。当時は、放射線科医が乳腺外来を担うこと自体が国内では珍しく、まさに手探りのスタートだったそうです。なお、1993年から1994年にかけてはフランスに在住した時期もありました。
きっかけは、超音波検査室で出会った一人の乳がん患者さんとのやりとり。真剣に向き合った島田さんに、患者さんがかけてくれた言葉が、乳腺診療への情熱を膨らませたそうです。本人は院長メッセージの中で、こう振り返っています。
“先生に逢えて本当に良かった。さっきまで乳がんになったことを恨んでいたけど、なんだかうまく乗り越えられそうな気がするから。ありがとうございます”
引用:ピンクリボンブレストケアクリニック表参道 公式サイト「院長からのメッセージ」
人との出会いが人生を変える――まさにそんなエピソードですよね。
米国ワシントン大学への留学が転機に
そして大きな転機が、1998年から翌1999年にかけての米国ワシントン大学メディカルセンターへの留学でした。日本放射線科専門医会の海外留学フェローシップに選ばれ、ブレストヘルスセンターで学んでいます。
現地で島田さんが驚いたのは、医療レベルではなく、一般女性の乳がんへの関心と知識の高さでした。町中にピンクリボンがあふれ、「Mammogram saves your life(マンモグラフィが命を救う)」というメッセージが日常に浸透していたのです。この経験が、帰国後の啓発活動への原動力になりました。
放射線科医から乳腺専門医へ。そして啓発活動の担い手へと、島田さんの歩みは着実に広がっていったんですね。
日本のピンクリボン運動を支えた活動のあゆみ
留学で得た気づきを胸に、島田さんは帰国後、ピンクリボン運動の立ち上げに奔走します。その歩みを見ていきましょう。
乳房健康研究会の立ち上げメンバーに
2000年、島田さんは乳がん啓発団体「乳房健康研究会」の発足に参画しました。乳がん専門医4人で立ち上げた団体で、のちに乳がん啓発団体として日本初のNPO法人認証を受けています。島田さんは副理事長を務め、乳がん死亡率を下げるための環境づくりに取り組んできました。「ピンクリボンって何?」という段階からのスタート。本当にゼロからの挑戦だったんですね。
ランニングなど啓発イベントの開催
2001年には、日本発の啓発型スポーツイベントとなる乳がん啓発ランニング・ウォーキングイベントを東京・昭和記念公園で企画・開催。以降、テニスやゴルフ、スノーボード、スキーなど、全国でさまざまな啓発イベントを展開してきました。マラソンが特技の島田さんらしい、体を動かしながら学べる工夫ですよね。
ピンクリボンブレストケアクリニック表参道の開設
そして2008年、表参道にピンクリボンブレストケアクリニックを開設(同年開院)。女性医師・女性スタッフによる乳腺専門のクリニックで、フルデジタルのマンモグラフィや超音波検査を駆使した診断を行っています。「乳がんは自分で発見できる唯一のがん」という島田さんの信念が、診療の土台になっているんですね。
こうして見ると、島田さんのキャリアは一貫して「早期発見で命を守る」という思いに貫かれているのが伝わってきます。
数々のメディア出演や著書でも活躍
島田さんは、テレビや雑誌などメディアでも幅広く活躍してきました。「ためしてガッテン」(NHK)、「ゲンキの時間」「駆け込みドクター」(TBS)、「ノンストップ」(フジテレビ)、「スッキリ」(日本テレビ)など、出演番組は多数。専門的な内容を分かりやすく伝える姿が、各局から信頼されているのが分かりますね。
著書・監修も豊富で、「20歳を過ぎたらブレストケア」(2001年)や「乳がんから自分をまもるために、知っておきたいこと。」(2014年)など、一般の女性に向けた啓発書を数多く手がけています。難しくなりがちな医療情報を、生活者の目線でやさしく届けてきた点が、島田さんの大きな持ち味だと思います。
世間の反応やSNSの声
島田さんはInstagram(@shimada_naoko)などで、日々の診療やピンクリボン運動の様子を発信しています。プロフィールには「乳腺科診療とピンクリボン運動に全力を注いでいます」とあり、ランニングやジャズ、サウナ、保護猫といった人柄がにじむ投稿も。専門医としての顔と、気さくな素顔の両方が垣間見えますね。
番組出演については放送前のため具体的な反響はまだこれからですが、デリケートなテーマを長年扱ってきた専門医だけに、「分かりやすい」「安心して聞ける」といった好意的な声が集まりそうだと予想されます。私自身も、こうした地道な啓発を続けてきた方の言葉には、素直に耳を傾けたくなりますね。
まとめ:島田菜穂子医師はピンクリボン運動の普及に尽力した専門医
島田菜穂子さんについて、この記事で分かったことをまとめます。
・1963年12月18日生まれ、静岡県出身の乳腺専門医
・沼津東高校から筑波大学医学専門学群へ進学、1988年卒業
・放射線科医としてスタートし、1992年に乳腺外来を開設
・米国ワシントン大学への留学がピンクリボン活動の転機に
・2000年に乳房健康研究会の発足に参画、2008年に表参道でクリニック開設
・2026年10月6日(火)よる11時59分から放送予定「上田と女がDEEPに吠える夜」に出演予定
一人の患者さんとの出会いから乳腺診療へ情熱を注ぎ、留学での気づきを日本のピンクリボン運動へとつなげた島田さん。その真っ直ぐな歩みが、少しでも伝わっていれば嬉しいです。番組でどんな言葉が聞けるのか、放送が本当に楽しみですよね!
島田菜穂子さんの新しい情報が入ったら、また追記していきますね。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!



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